· 

20/3/15 英語教育ではダメなんだ

IT技術で未来を切り拓く、そしてその先に何が必要か考えてみた。

プログラマーを輩出するインド、独自の発想で先端技術に追い付き抜き去ろうとしている中国が目に付く。彼らの発想の原点に言語や発想法がある。

インドはインド式数学と言われる独特の抽象操作方法がある。

中国は漢字文化がある。

漢字は表意文字、ひらがなは表音文字、これらを上手く組み合わせた日本語は、世界に冠たる言語文化だと思う。

表意文字と表音文字では書き表した文章の意味を読み取る速さが格段に違う。

明治の日本が、他のアジアの国の様にヨーロッパの植民地にならず独立を維持出来たのは、江戸時代の寺子屋教育や藩校の教育と言う高度な教育体系による民度の高さと、有能な人材があまた存在していたからだ。彼らは漢文の素読を通じて、単に記憶するだけでは無く、抽象的な概念を操る事が出来た。

一定の成長を遂げ、追いかける目標を失い日本は30年間低迷している。

ゆとり教育で失敗し、今度は英語教育で失敗を繰り返そうとしている。

多様な文明・文化を取り入れるのに最適な表意文字と表音文字を組み合わせた日本語を磨き上げるのでは無く、グローバルな世界にアクセスしやすい英語を優先しようとしている。

間もなく言語間の壁は翻訳技術が取り払う事になる。

英語へのアクセスは容易になる。

大切なのはAI(人工知能)が処理出来るタスクを処理する能力ではなく、AIが不得手な新しい発想力を磨く事だ。

その為には日本語を磨かなければならない。

大切なのは、発想が次々と新しいアイデアにつながる広がりがあるかという事だと思う。

表意文字を侮ってはいけない。