日経新聞1/31夕刊の「生活」欄から。
『除夜の鐘や子供の声、消防署のサイレンの音……。住民が「うるさい」と苦情を申し入れ、見直しを迫られる例が相次いでいる。これまで許されてきた音が「騒音」に聞こえるようだ。どうして現代人は音に過敏になったのか。背景を探った。』
私も、何故従来は普通に許されてきた音が、今は騒音として苦情になり、そして色々な行事が中止に追い込まれるのか疑問に思っていた。
私がうなづけるのは
『音楽やスマートフォンなどへの没入感だ。「高性能イヤホンの普及で、電車などの公共空間でさえ自分の世界に浸れる。そこに聴きたくもない音が混ざると、不快なノイズと感じてしまう」(小松教授)』
そして
『苦情を言うのは年配者も同じ。「地域や会社といった共同体との関わりが薄れるなか、一人暮らしの高齢者は特に閉塞感や不安感を抱えやすくなっている。ちょっとした音にも過剰に反応する傾向がある」と橋本典久名誉教授は指摘する。』
『騒音問題は表層にすぎない」「苦情の裏には何か別の理由があると考えるべきだろう』
現代社会は色々な騒音を生み出している。
そして、一方で居室は遮音性が向上し、かなりの静寂を維持できる様になった。
それが逆に、静寂を破る音の公害性を上げてしまっている様だ。
そこに、共同体が崩壊して周りに対して我慢すると言う余裕を無くしてしまってる人達が苦情を言う。
私はマレーシア駐在の経験から、
イスラム社会の毎日5回の礼拝を呼びかける大音量のアナウンスが町中に鳴り響き、大変でしたが、
ローカルの人は当然ですが文句は有りません。
宗教だからなのか、文化として許容しているのか、ストレス社会では無いからか?
その全てが当てはまるのかもしれません。
今となると、あの喧騒が懐かしく思い出されます。
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