例えば、湯船に浸かって、お湯の設定温度を41度から42度に上げる。
わずか1度の違いを敏感に感じる我々の感知センサー。
一方、プールの温度が20度から21度になっても我々は感じられない。
人の体温は36~37度であり、体温に近い温度の変化(湯船の温度)は感知可能だが、体温からかけ離れた温度域にあるプールの温度変化は感知できない。
温度の感知と同様に、我々は自分と近い人間の変化を敏感にキャッチする。
本能的に、類似性を持った他者(年代、境遇、地域、民族)との差、変化が気になる。
だからこそ、小さなサークルで差別が起こる。
自分とあまりに乖離した境遇の人を差別の対象にしても、心の闇を満足させることはできないから。
人の死も同じ構造を持つ。
我々は同年代の死に心揺さぶられる。
コロナウイルスでは中高年の死が象徴的だ。
「比較の対象となる」身近な人の自分との違いは心に深く突き刺さる。
それにどの様な働きかけをするか、獣ならば排除に走るだろう。
人の本能も多分排除だろうが、それを避ける為には社会としての適切な教育「いけない事を理解させる」しかないだろう。
しかし、それはゆっくり時間をかけてしなければ効果は得られない。
それほど強い本能だから。
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